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Dylan & The Dead(30th) [ボブ・ディラン(Bob Dylan)]



Dylan & The Dead/Bob Dylan
(邦題『ディラン&ザ・デッド』)
(1989)
★★★★

1987年のボブ・ディランとグレイトフル・デッドのジョイント・ツアー「Alone and Together」の模様を収めたライブ・アルバム。このツアーを挟み、ディランはトム・ペティ&ハートブレイカーズとのジョイント・ツアーも行っており、要するにこのころ、ディランはジョイント・ツアーばかりしていたわけだ。ザ・バンドとのコラボレーションよ、もう一度といった感じで、ある程度完成されたサウンドの中に飛び込み、格闘することで何らかの状況を打ち破ろうとしていた――のだったら格好いい話だが、実態はそういうわけでもなく、どうもこの時期、商業的にはあまりふるわなかったディランをなんとかうまく使ってやろうという主にマネージメント側から出たアイデアだったようだ。だからなのか、ディランはこの時期の自分の残した音にはほとんど何の価値も認めていないふしがある。たとえばトム・ペティとのツアーはレコードにもならず、『Hard to Handle』というビデオで出ているのみで、おまけにこれはDVDにすらなっていない。僕も持っていなくて、昔友達が買ったのを観たっきりなのだが、なかなかソリッドで熱い、いいライブだと思うんだけど。でもまあ、たしかに後世に残すべき「何か」を持った音じゃないといえば、そうなのかもしれないが。

そのトム・ペティとのライブはさておき、デッドとのジョイントは間違いなく「夢の競演」ならぬ「夢の共演」だ。当時もけっこう話題になっていて、特にデッドのファンは大いに盛り上がった。ところが、日本ではグレイトフル・デッドの認知度が低いというか、その本当の凄さ、素晴らしさが伝わっていないところがあり、このアルバムの評価もそのせいで二枚くらい落ちているような気がする。あのデッドをバックにディランが歌ってるんだから、少々の難点はさておき、それだけでもっと興奮できるだろう? ということだ。だが、その「少々の難点」が問題なのだ、実際。

いちばんの問題は演奏やサウンドの「クオリティ」にあった。このアルバム、というよりこのツアー自体、そもそも「クオリティ」が高まる要素に乏しいものだった。ディランもデッドも、誇張ではなくそういう考え方からは最も遠い場所にいるアーティストで、それがコラボしたらこうなっちゃうという、悪い見本がここにはある。簡単に言ってしまえば、演奏がヘロヘロなのだ。それも、半端なく。

このアルバムには7曲が収められている。曲数もそうだが、総時間も30分ちょいで、ちょっとボリューム的に小さい感じは否めない。だが、話によると全部で6回やったコンサートで28曲がプレイされたが、その中でなんとか「聞ける」ものを集めると、これしかないのだそうだ。それでも例えば「Joey」のような、さすがにこれは入れなかったほうがいいんじゃないかと思うくらい「アウト」なデキのトラックも入っているのだから、このライブの演奏がいかにひどかったのかがしのばれる。まあはっきり言って、随所にこりゃリハーサル以下だろうという箇所がある。

ディランの歌も、なんだかヘンだ。自伝によると、このときディランはサンラファエルのジャズ・バーで見かけた地元のシンガーの唱法にインスパイアされ、新しい声の出し方や歌詞の乗せ方を思いついて、それをこのツアーで試してみたのだという。ところがそれをデッドのメンバーには言わずに勝手にやっていたようで、別の筋の話によれば、メンバーたちはディランがこのツアーでは終始、ふざけて歌っているみたいだと怒っていたという。まあ本人はそれなりに真剣だったのだろうが、その歌い方も、その後正式採用はされなかったようだし、そういう意味では不幸な行き違いとでも言うべきだろうか。

そんな具合に、いろいろとクオリティ的な問題が噴出しているこのアルバムは、まさにその一点において評価が低い。普通なら★2つ、あるいはそのひどさを認めたうえで、でもデッドが好きなのでという理由で★3つにしました、というあたりが適当なんだと思う。

でも、僕はこのアルバム、大好きなのだ。ときどき無性に聴きたくなるし、聴いていて退屈になったり途中でやめたくなることもない。聴いていると、昔のことや今の自分のことなど、本当にいろんなことが頭に浮かぶ。実際、久しぶりにこっちのブログも更新してみっか、と思ったのも、まさにこのアルバムを聴いているときだった。どこか深いところで僕を突き動かしてくれるものが、そこにはたぶんある。でもそれ以外に、何が必要だというんだ? サウンドや演奏のクオリティの高さ? 本当に? それ本当にないと困る?

もちろん、これはすごく個人的な嗜好の問題が大きいんだろうということはわかっている。だいたい、グレイトフル・デッド自体が、いきなり好き嫌いの分かれる対象なのだ。おまけにデッドにもサイケデリック・ロック的な見方やカントリーやブルースをベースにした面やあるいはジャム・バンドとしての魅力などがあり、そのどこが好きなのかによって、けっこう層がぱっきり分かれたりするところもある。僕はというと、基本的には2番目のデッド派なのだが、このアルバムをきっかけに、ジャム・バンドとしてのデッドにも興味が出たといったところだろうか。永遠にこの演奏が終わりませんように、この心地よい宙ぶらりんな状態がずっと続きますように、と祈りたくなるような不思議なヘロヘロ・グルーヴは、デッド独特のものだ。うまく言えないが、寸止め感というか、非高揚感というか。「Queen Jane Approximately」なんて、そういう意味では名演じゃないだろうか。

このアルバムのヘロヘロさ加減を、許すのではなく愛せるか、という点で、いいリトマス試験紙がある。1970年のグレイトフル・デッドのアルバム『Workingman's Dead』に収められている名曲「Casey Jones」の、ギター・ソロなんか、いいんじゃないかと思う。youtubeとかにもいろいろあるみたいだけど、できればオリジナルがよりヘロヘロでいい感じだ。僕はいまだに、これを聴くとわけもなく体の奥がムズムズして、正体不明のやる気が出てくる。何かを表現したい気持ちが、強烈に湧き起こってくる。

もう一度問うけど、それ以外に、何が必要だというんだ?

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