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Infidels(25th)~Real Live(26th) [ボブ・ディラン(Bob Dylan)]

「ディランはキリスト教から、今度はユダヤ教に改宗したらしい」という噂とともにリリースされた『Infidels』は、たしかに歌詞からキリスト礼賛的な匂いが消え、サウンド面においても近3作に共通していた南部風味の「縛り」のようなものがなくなり、自由で伸びやかな創造性をたたえた傑作に仕上がっていた。そしてそのことは同時に、ディランがまた新たなフェイズに入ったことを、先の読めない旅路に足を踏み出したことを示してもいた。ここではその『Infidels』と、翌年に行われたヨーロッパ・ツアーの模様を収めた『Real Live』を取り上げる。


Infidels/Bob Dylan
(邦題『インフィデル』)
(1983)
★★★★★

フォーク・ロックというジャンルを定義づけるとしたら、いったいどんな言葉がぴったりなんだろうか? というような考察は、じつはすでに『Bringing It All Back Home』の項で試みていて、まあとりあえずのところは「フォーク・ギターを中心に、ドラム、ベース、そしてエレクトリックのリード・ギターなどで構成されたサウンド」としておけばいいだろうと考えたのだが、そのフォーク・ロックというジャンルそのものを生み出した歴史的名作『Bringing It All Back Home』から18年、ディランはそんな表面的な定義を使い物にならなくするくらいにまで「フォーク・ロック」を深化させたアルバムを発表した。それが、僕にとっての『Infidels』という作品の本質だ。

このアルバムを形成しているサウンドを文章で説明すること自体は、難しいことではない。まずはレゲエ界最強のリズム・セクション、スライ・ダンバー&ロビー・シェイクスピアのすばらしく独創的なドラムとベース。そこにマーク・ノップラーとミック・テイラーが、と書くと、すわギンギンのギター・バトルか!?と警戒したくなるが、ノップラー自身がプロデュースを担当していることもあり、もちろんそういったハメを外すような事態には陥っていない。逆に、ストイックなまでに抑制され、計算し尽くされたソリッドなプレイが、リズム隊を横軸とするなら縦軸(べつにどっちがどっちでもいいんだけど)となって、極上の音空間を現出せしめている。アラン・クラークのキーボードはあくまでも脇役に徹し、無駄のないプレイでその空間のフレームを補強する。そして、そこにディランの伸びやかなボーカルとハーモニカが乗っていく。この伸びやかさは、明らかにかつてのディランにはなかった、何か新しいものだ。

楽器にも、そしてディランのボーカルにも、やはりかつてないほどのエコーがかけられていて、それ自体はいかにもこの時代(80年代)のサウンドだなあという感じなのだが、でも不思議と古くささを感じさせない。たぶんそれは、この過剰とも思えるエコー処理に、必然性が備わっているからなのだ。楽曲制作上も、ボーカリストとしても、そして何より精神的に伸び伸びと感受性の羽を広げているディランのその状態を、もっとも端的な形で表現できているのが、このエコーのきいたサウンドなのだと思う。

と、ここまで読んで、突っ込みたくはならないですか? さっき「この作品はフォーク・ロックだ」と言ったけど、ディランはフォーク・ギターを弾いていないの? と。

そうなんです、弾いていないんです。じつはこのアルバムのサウンドは、ほぼ先に列挙した音要素のみで出来上がった、ある意味で非常にシンプルでスカスカなものなのだ。いや、「弾いていない」というのはちょっと大げさで、「Jokerman」「Sweetheart Like You」「I And I」あたりでは、よーく聴くとバックでアコースティック・ギター(というかエレアコ?)が鳴っているのが聴こえる。いま手元に楽曲ごとの詳細なクレジットがないので、もしかしたら他にも弾いている曲があるのかもしれないが、でもいずれにせよ、それはサウンドを引っ張る弾き語り的な演奏としてではなく、あくまでもアンサンブルの中の隠し味的な要素として鳴っているにすぎない。つまりディランはこのアルバムで、ほとんどフォーク・ギターを弾いていないのだ。だがそれでも、僕にはここに収められたほとんどすべての曲において、ディランの弾くフォーク・ギターが聴こえてくるような気がするのだ。

どうしてなのかは、もはや言葉で説明することは難しい。このアルバムがフォーク・ロックの作品だからだ、という言い方しか、僕にはできない。実際にフォーク・ギターが鳴っているのかいないのかにかかわらず、僕にはその音が中心で鳴っているのが聴こえ、そしてだからこそ、この作品はフォーク・ロックなのだ。

僕には、ディランが「License To Kil」を、「Don't Fall Apart On Me Tonight」をギター一本で弾き語っているのが、圧倒的なリアリティーをもって聴こえてくる。アルバム中、もっともロックンロールしているといえる「Neighborhood Bully」ですら、たとえば『The Last Waltz』(ザ・バンドの解散コンサート)出演時にハード・ロックのようなアレンジで演奏された「Baby, Let Me Follow You Down」が、じつはファースト・アルバムでギター一本で弾き語っていた曲だったことを思い出させる。そうやって僕の頭の中だけで鳴っている音は、実際に耳から入ってくる音の見えない「核」のようなものなのだと思う。そして、その「核」のようなものの存在を、僕は信じている。というか、僕たちが聴いているのは、まさにその「核」なのだとすら思う。

表面上のサウンドがカントリーだろうがハード・ロックだろうがレゲエだろうがゴスペルだろうが、「核」をごまかすことはできない。そして、その作品が優れたものなのかそうでないのかを決めるのは、この「核」の強度に他ならない。そういう意味で、僕がディランのメインの「核」であると信じているフォーク・ロック的なスピリットをこれだけの強度で感じさせる『Infidels』という作品は、間違いなく傑作だと思う。


Real Live/Bob Dylan
(邦題『リアル・ライヴ』)
(1984)
★★☆☆☆

ディランの作品には賛否がまっぷたつ(というか賛3否7くらい)に分かれるものが珍しくないが、この『Real Live』もまたそんなアルバムだ。そういえば似たような立ち位置の『At Budokan』もまたライブ・アルバムだった。このあと1989年に出る『Dylan & The Dead』も賛2否8か、へたしたら賛1否9くらいの作品だし、こんなにもライブ・アルバムで安定した評価を得られないアーティストというのも珍しいんじゃないだろうか。だって、普通ライブ・アルバムといえば、その時期までのベスト・アルバム的な代表曲のオンパレードになることがほとんどだし、だからなかなか歴史的名作などという評価は得づらいにしても、少なくとも「失敗作」なんて烙印が押されることはまずないからだ。だがディランは、そんな危ない橋ばかり渡っている。だからこそ『Hard Rain』なんていう、スタジオ作ではちょっと登場しにくいような、ライブ・アルバムならではの孤高の傑作を生み出すことができたんだろうけど。

では、この『Real Live』でディランはどんな「危ない橋」を渡っているのだろうか、という視点で見ていくと、そういう人は意外とまともなサウンドに拍子抜けすることになるだろう。「そういう人」って、つまり僕のことなのだが。そして、たぶんその「拍子抜け」のぶんだけ、僕のこのアルバムに対する評価は低くなっている。

直近のスタジオ作『Infidels』制作メンバーからギターのミック・テイラーが参加したこのツアーは、しかし他のメンバーは入れ替わっており、『Infidels』とはまた別もののサウンドを狙っていることがわかる。キーボードはイアン・マクレガン。とくれば、その「狙い」というのはストーンズ/フェイセズ的なロックンロール? と思うでしょう。お見事、まさにそのとおり。でも問題は、「そのとおり」とか「そのまんま」というものは、えてして「つまらない」や「退屈」と紙一重であるというところにあるのだ。

このアルバムで展開されているのは、ストレートでシンプルでオーソドックスなロックンロール、それ以上でも以下でもない。『Infidels』からは「I And I」「License To Kil」の2曲がプレイされているが、あとは「Highway 61 Revisited」「Maggie's Farm」といった代表曲のロックンロール・バージョンだ。リズム隊のプレイは堅実だが平凡、イアン・マクレガンも頑張ってはいるが、サウンドに強烈なカラーを加えるまでには至っていない。さすがにミック・テイラーのギターは、エフェクトの強くかかった音色といい、スマートなフレージングといい、独特のものを聴かせているが、そこまで。全体に、ストーンズほどの黒っぽさもなければ、フェイセズのようなルーズな格好良さもないとくれば、比較的良質なロックンロールという以外に形容のしようがない。

もっと問題なのは、全10曲中、3曲をアコースティック・パートが占めているところで、ここでディランはギター一本の弾き語りで「It Ain't Me, Babe」「Tangled Up In Blue」「Girl From The North Country」を歌っている。この3曲(とくに後の2曲)こそ、このメンバーでしかできないようなロックンロール・アレンジを施し、聴く者(僕のことだけど)に新鮮な驚きを与えてほしかった。「拍子抜け」させないでほしかったと強く思う。

そんなわけで、僕のこのアルバムに対する評価は、単体のデキ云々よりもその「立ち位置」の中途半端さで決まってしまうことになる。試しにいま、もしもディランがその長いキャリアの中でライブ・アルバムというものをこれ1枚しか出していなかったら、と仮定してみたが、その場合、このアルバムは「立ち位置」的にもサウンド的にもぎりぎり及第点、★3つはあるかなあ、という気はする。先に述べたミック・テイラーのギターや、「It Ain't Me, Babe」での聴衆とのかけあい(これこそ賛否の分かれるところだけど)など、聴きどころもないわけではない。だが、そもそもディランが『Royal Albert Hall』も『Before The Flood』も『Hard Rain』も通過していないという設定自体、ディランの魅力を半減させることにもなりそうで、ちょっと無理があるかもしれないのだが。

ちなみにこのアルバムに対する「賛否」が「賛」の人は、『At Budokan』も積極的に評価する人が多いような印象がある。ディランの全曲解説本『ディランを聴け!!』の中山康樹氏なんかはそっちのタイプのようで、人の好みがいろいろなのは当然として、こういうのは不思議な現象だなあと思う。

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