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Slow Train Coming(22nd)~Shot Of Love(24th) [ボブ・ディラン(Bob Dylan)]

一般的にはどうなのかわからないが、少なくとも僕はこの前の『At Budokan』までを「70年代までのディラン」、そしてここでとりあげる『Slow Train Coming』からを「80年代以降のディラン」(実際には『Slow Train Coming』は1979年8月の発売でギリギリ70年代なのだが)として、大きく2つに分けてとらえているふしがある。「ふしがある」なんてなんだか他人事のようだが。でも、たしかに「そこまで」と「そこから」では、たんなる音楽的な印象以上の「何か」が致命的に違っている気がする。乱暴な言い方をすれば、その2つのディランはまったく違うミュージシャンとして聴かれるべきだとすら思っている。

でもそれは、たぶんディランに限ったことではないのだとも思う。それは、ロックを含むポピュラー・ミュージック全体が直面した時代の変化なのだ。洗練と細分化と商業化は、あっという間にロックの可能性を掘り尽くし、方法論のカタログ化を押し進めてしまった。うまくは言えないが、鶏が先だった時代から、卵が先の時代へ、といった感じ。ともかくここからのディラン(というかほとんどすべてのミュージシャン)にとっての問題は、いかに新しいサウンドを生み出すかではなく、いかに既成のサウンドとうまく付き合っていくかへとシフトしていく。その視界に映る光景は、テキサスの荒野とニューヨークの摩天楼くらい違ってくる。音楽に限らず、ある特定の表現様式が成熟するというのはそういうことなのだ。良くも悪くも。

というわけで、『Slow Train Coming』から『Saved』、そして『Shot Of Love』へと続く、俗に言う「キリスト教3部作」である。そう一括りにされているのは、この時期のディラン自身が神への目覚め、キリスト教への改宗を明言していたこともあるが、たとえば歌詞が明らかにそういった傾向を帯びたり、サウンド的にもゴスペル形式のような南部志向を強めたりしていたからという理由も大きい。もちろん日本人である僕たちにはこの宗教的な問題が意味する微妙なところは伝わりにくいし、ましてや歌詞の面での変化を語れと言われても厳しいものはある。だが、そこに込められたメッセージ(歌詞だけではなく)がどれほど優れていようとも、出てきたものが音楽として優れていなければ意味はない。逆に言えば、真に深く優れたメッセージは、音楽自体をも優れたものにするはずだ。僕たちは、そうやって音楽から「メッセージ」を受け取っているはずなのだ。言うまでもなく1970年代以前も、そして1980年代以降も。

Slow Train Coming/Bob Dylan
(邦題『スロー・トレイン・カミング』)
(1979)
★★★★

とまあ、上ではぐだぐだと「ここからがニュー・ディランだと思うんだよね」みたいなことを大げさな筆致で書いているが、そんなことはこのアルバムのオープニングを飾る「Gotta Serve Somebody」のイントロを聴けば、10秒でわかることだったりする。何か新しいことが始まる予感が全身を包み、同時に、たとえばこれが『Nashville Skyline』のようにある特定の音楽ジャンルのコスプレのような行為ではなく、もっと深刻な、表面上のスタイルとは無関係な、後戻りのできない致命的なステップであることが直感的にわかり、胸が締めつけられるような気がしてくるのだ。少なくとも僕にとって、ディランのアルバムの中でこんな緊張感を受ける作品は他にはない。

その「表面上のスタイル」の詳細については他のサイトなどでも調べることはできるだろうし、だいたい先に述べた「最初の10秒」を聴けば、そのあたりだって一発で伝わるはずなのだが、それで終わらせるのもどうかと思うので、いちおう簡単な解説を。

南部R&Bサウンドの総本山、マッスル・ショールズ・スタジオで制作されたこのアルバムは、ディランがはじめて既成の(というか、特定の他者の署名入りの)サウンドに身を委ねた作品とされる。抑制のきいたクールなファンキーさをたたえたリズム、女性コーラス隊やホーン、プロデューサーでもあるバリー・ベケットのマイルドなオルガンとピアノ、どこをとっても上質な、一級品の南部的サウンドが実現されている。だがこれだけでは音楽的コスプレの域を出ない。このアルバムに唯一無二の存在感を与えているのは、マーク・ノップラーのギターなのだ。

イギリスのバンドであるダイアー・ストレイツは1978年にファースト・アルバムを発表、アメリカでは1年遅れの1979年にデビューしたばかりで、そのツアーを見てディランは起用を決めたらしい。そして、これが大当たりとなった。ノップラーのクリアでハイ・テンションなギターは、上品でマイルドなサウンドのアクセントとして十二分にその魅力を発揮し、このアルバムを他にかわりのきかない作品に仕上げる重要な役目を果たしている。というか、2曲目の「Precious Angel」なんて、ほとんど同年の1979年に発表されたダイアー・ストレイツのセカンド・アルバム『Communique』の1曲目である「Once Upon A Time In The West」そのまんまじゃないか、という長い説明口調のツッコミを入れたくなるくらい、その影響は大きい。僕はダイアー・ストレイツも大好きだが、本家(ってのもヘンかな)にはない、黒々としたノリの中で跳ね回るノップラーのギターというのは、それだけで一聴の価値があると思う。というか、ノップラー自身、歌い方などがディランの影響を受けていることは明らかだし、そればかりかディランは自分のアイドルだと公言しているくらいで、この組み合わせ、相性が悪いはずがないのだ。

問題の歌詞の面だが、たしかに全体的に神(というかキリスト)がテーマになっているようではある。が、語学力のせいもあるのかもしれないが、あくまでも多義的なレベルに感じられるし、愛や人生を大上段から扱った曲が多いような気がする、というくらいの印象にとどまっている。ただ、最後から2曲目の「Man Gave Names To All The Animals」で「Man gave names to all the animals in the beginning, in the beginning(人間はそもそもの最初に、すべての動物たちに名前を与えた)」としつこく歌うあたりや、アルバムの最後の「When He Returns」で、ピアノ伴奏だけで静かに、そして荘厳に神の復活について歌い上げるあたり、なんだか様子がおかしいというか、居心地の悪さは残る。これか、噂のアレは、という感じである。

歌詞ということで言えば、「Gotta Serve Somebody」の「Well it may be the devil or it may be the lord. But you're gonna have to serve somebody(それが悪魔だろうと神だろうと、とにかく人は誰かに使えなければいけない)」という非常に印象的な一節もまた、考えようによっては(というかモロに)そっち系なのかもしれない。しかし僕はいつもこの曲を聴くとき、違うことを考えている。たぶんこれは、70年代的なものの終わりを、そして80年代的なものの始まりを宣言している言葉なのだ。少なくとも、そのくらいの多義的な解釈を受け入れるだけの力がこの曲には、いやこのアルバムにはある。次の『Saved』とは違って。


Saved/Bob Dylan
(邦題『セイヴド』)
(1980)
★★☆☆☆

たとえばディランの曲のなかでフェイバリットは、と訊かれて『Highway 61 Revisited』の「Desolation Row」を挙げる人は多い。12分を超えるこの曲には間奏らしい間奏もなく、ディランは120行にもわたる歌詞を延々と歌い続けるのだが、そんな曲がなぜ好まれているのかというと、歌詞の内容ではなく、響きが素晴らしいからにほかならない。これは、ディランの音楽の素晴らしさを最も端的に説明できるの話の一つだと思う。なぜそんな話がここで必要だったのかというと、この『Saved』という作品に最も欠けているものこそ、そういった歌詞の力だと考えるからだ。

それが宗教的なことなのか、それとも何か他のことなのかはさしあたってどうでもいい。ともかく、ディランには何か語りたいことが、語っても語っても語り尽くせぬことがあり、それを歌詞にして、音楽に乗せて歌った。これまでのディランの曲の歌詞を「歌詞」と呼ぶならば、それは「歌詞」ではない。「歌詞」としての力を失った、ただの「詞」でしかない。それがどんなに正しいテーマについて書かれた、優れた「詞」であろうともだ。歌詞が耳に入ってこない、楽曲が無駄に長く感じる、演奏と歌のバランスが崩れている。僕がこの『Saved』に感じているそれらの不満は、たぶんすべてそういったところに根っこがある。

サウンド的には、前作に引き続きマッスル・ショールズ・スタジオでの録音、プロデューサーも同じジェリー・ウェクスラーとバリー・ベケットと、まるで同じものができて不思議はなさそうだが、じつは感触はずいぶん違っている。まず、マーク・ノップラーとドラムのピック・ウィザースという、ダイアー・ストレイツ組がいないことが大きい。このせいで、サウンドはそのクオリティーの高さは別として、個性という点でははるかに弱い、匿名性を帯びたものになってしまっている。で、そのサウンドの方向性はというと、ゴスペル色、スワンプ色をより強めたサザン・ロック的な傾向が加速しているのだが、なにしろこれをその匿名性の高い音でやられると、何というか、音楽的コスプレ感、物真似感が強くなってしまうのだ。

たぶんこのアルバムを好きになれるかどうかは、ほとんどタイトル曲の「Saved」をかっこいいと思えるかどうかの一点にかかっているのではないかと思う。僕の感想は、何の工夫もないスワンプの物真似、歌詞も唄も、ディランでなくてはならなかった必然性が伝わらず、これならレオン・ラッセルを聴いていた方がマシ、といったところだ。もちろん、レオン・ラッセルはちょっとアクが強すぎて好きではないが、この「Saved」や同じようなサウンドの5曲目「Solid Rock」はビンビンくる、という人がいても不思議はない……のかなあ。ちょっと自信ないが。

先にも少し触れたが、とはいえサウンドのクオリティー自体はなかなか高い。フォーク/カントリー的な要素が入ると田舎臭く感じる、根っからのハード・ロック好きの人ならば、他のディランの作品よりは入りやすいかもしれないが、でもそれなら他のアーティストのものを聴けばいいんじゃないかな、とも思う。ちなみにこの時期の「ゴスペル・ツアー」と題されたコンサート・ツアーはこの『Saved』のメンバーが中心で、途中で説教(!)が入ったりする宗教色の強さもあって賛否は分かれたが、音楽的には非常に高い評価を受けたツアーでもあった。レコードはもちろん、音源がほとんど出回っていないのが残念で、そのうちブートレッグ・シリーズで発掘されないかなあ、とひそかに期待しているのだが。

そうそう、この『Saved』、現在再発されているCDではジャケットがライブ・アルバムかと間違ってしまいそうな写真のものになっているが、もともとはここで紹介している、ヘビメタかプログレのアルバムのような気持ち悪い絵で、これがまたすこぶる評判が悪かった。まあディランのアルバムは総じてジャケットがヘボい傾向があるが、これはその中でも屈指の存在である。まあ見てやって(笑)。


Shot Of Love/Bob Dylan
(邦題『ショット・オブ・ラブ』)
(1981)
★★★☆☆

ディランのアルバムの中で「存在は地味だけどじつは意外にいい隠れた名作」大賞といえば『Street Legal』なわけだが、個人的には『Street Legal』は「地味な存在ながらじつは意外にいいんだけど、やっぱりよく聴くと地味なのには理由があって、結局のところ佳作の域は出ないで賞」止まりだったりする。「~で賞」なんていまどき町内会のイベントでもお目にかかれないって? いや、古くてすいません。

冗談はさておき、この『Shot Of Love』こそ、僕の個人的「存在は地味だけどじつは意外にいい隠れた名作」大賞だ。★4つあげちゃおうかどうしようかさんざん迷ったが、あと一歩、押しが足りないところもたしかにあるので、残念ながら3つ止まりに。『Street Legal』も3つにしたけど、あえて小数点以下を使って表現してみるなら、あっちは★3.5、この『Shot Of Love』が★3.8くらいかなあ。

ところでこのアルバム、「キリスト教3部作」の3つめとされているが、歌詞もサウンドも、宗教色はかなり薄い。つまるところ、この次の『Infidels』がユダヤ教に改宗して制作したアルバムということで話題を呼んだため、ってことはその直前のこのアルバムまではキリスト教だったってことでいいんじゃない?的な分け方にすぎないような気がする。そんな先入観や、どこのD級バンドかと思わせる信じがたいデザインのジャケットのせいで敬遠している人がいたら、それはもったいない話だと思う。本当に。

その立ち位置というか、評価のされ方が似ているということで先ほど『Street Legal』と比べたが、ついでにサウンドも比較してしまうと、すぐにあちらはポップだけどこちらはロック、という明快な解答が得られる。違うのは、たぶんサウンドに占めるギターの役割の違いだ。このアルバムは、バックはジム・ケルトナーらのウェスト・コーストの職人たちが務め、そこにダニー・コーチマーという硬質な触感を持ったギタリストを配することで、オトナのコンテンポラリーなギター・ロックを現出させることに成功している。チャット・プロットキンとのコラボではあるが、セルフ・プロデュースに近い作り方をしたのも、サウンドに余計な色が加わらないという意味で成功だと思う。地味な印象なのはそのためもあるのだが、でもこの乾いた感じのサウンドは、ディランによく合っている。

考えてみれば、マイク・ブルームフィールド、ロビー・ロバートソン、マーク・ノップラーと、ディランを生かすギタリストには、なんとなく共通点があるような気がする。隙間をうまく作れるというか、かけあいができるというか。ある意味、ダニー・コーチマーもまた、そんな系譜に含まれるギタリストなのではないだろうか。またディランも、そんなダニーのギターがよく生きるような曲を書いていると思う。「Watered-Down Love」なんて、ちょっと他のアルバムではお目にかかれないタイプの曲だ。

他にも、この数年間磨いてきたゴスペルっぽいセンスがついに音楽的な実を結んだともいえる「Shot Of Love」や「Property Of Jesus」のような好ナンバー、傑作『Blonde On Blonde』の「Sad Eyed Lady Of The Lowlands」を思わせる大作「Every Grain Of Sand」、リンゴ・スターやロン・ウッドら豪華なゲストが参加したこともありサウンド的にはちょっと浮いた感もあるが、それがかえってアルバムに華を添えたとも考えられるハート・ウォーミングな「Heart Of Mine」など、なかなかの佳曲が揃ったこのアルバム。小粒で、スケール感には欠けるかもしれないが、そのぶん味は凝縮され、内側には堅い芯のようなものの入った、梅干しのような作品だと思う。
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ふにゃちゅう

頑張ってたくさん書いたで賞!
by ふにゃちゅう (2008-06-28 15:59) 

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