SSブログ

John Wesley Harding(8th) ~ Dylan(13th) [ボブ・ディラン(Bob Dylan)]

『Blonde On Blonde』発売直後、バイク事故で首の骨を折るという大ケガを負ったディランは、そこから長期の療養生活に入る。結局、1年半ほどで復帰はするのだが、そこからの数年間に発表されたアルバムは、どれもリハビリ途中とまでは言わないが、自身のパフォーマンスと、そして音楽性までも含めて手探り状態で作られたような「軽さ」に包まれている。はっきり言って歴史を揺り動かすような傑作は出なかった時期だが、「ディラン史」においては他の時期にはないトライも見られ、興味深いともいえる。とはいえ、個人的にもこの時期のレコードをターンテーブルに乗せる機会は現在はほとんどないんだけど。


John Wesley Harding/Bob Dylan
(邦題『ジョン・ウェズリー・ハーディング』)
(1968)
★★☆☆☆

バイク事故による休養からの復帰作となった通算8枚目。基本的にはディランの弾き語りのバックに簡素なドラムとベースが加わっているだけのシンプルなサウンド。直近の『Highway61 Revisited』や『Blonde On Blonde』のような「ロック感」はここにはない。たぶん、当時のリアルタイムなリスナーにとっては拍子抜けというか、けっこう退屈に感じられたんじゃないだろうか。

じつはディランにはこの7年後(アルバムでいえば7枚後)に『Blood On The Tracks』という大傑作があるのだが、その作品もまた、この『John Wesley Harding』と同じ弾き語りのバックにドラムとベースが入っているだけというシンプルなサウンドに貫かれている。何曲かでペダル・スティールが味つけ程度に加わっている点まで同じなのだ。たぶん、ここでやりたかったのは、その『Blood On The Tracks』のようなことなんじゃないだろうか。とはいえ、この作品は『Blood On The Tracks』のような高みには達していない。悪い意味のシンプルさが容易に退屈さに転化しうるケースの見本のような作品ともいえる。

原因はおそらく楽曲自体にある。『Blood On The Tracks』の楽曲は弾き語りだけでも十分完成されているほど煮詰められているが、この『John Wesley Harding』の楽曲は、どれもあとでバンドがバックに入ることを念頭において作られているというというか、逆にいえば単純な8ビートのロックの楽曲をアコースティック・ギターだけで演奏しているような感じがあるのだ。

だからここでの演奏と楽曲には、どれも未完成な感じがつきまとっている。もっといいバンドで、もっと「ロック」してほしい。そんな不完全燃焼感が残るのだ。というか、たぶん本人もそう思っていたんじゃないだろうか。いい例が「All Along The Watchtower」で、この曲はジミ・ヘンドリックスがカバーして凄まじい名演を残しているが、ディラン自身、後のライブではそのジミ・ヘンのバージョンをさらにカバーしているようなアレンジを施している。要するにこのオリジナル・バージョンはまだ未完成の「原曲」にすぎず、デモ・テープみたいなものなのだ。サウンド的には(そしてたぶん「狙い」も)『Blood On The Tracks』と似てはいても、そのあたりのベクトルは真逆と言っていいだろう。

なんだか長いわりに否定的な解説になってしまったが、ラストのハッピーなカントリー・ナンバー「I'll Be Your Baby Tonight」はいいですよ。これを書くために久しぶりに聴いて、不覚にも感動してしまった。それに考えようによっては、たとえばバンドをやっていて、何かシブいカバーでもやってみたいと考えている人にとっては、カバーしやすい曲(そしてあまり有名じゃない曲)が揃っているという点で、もしかしたらこのアルバムは宝の山とも言えるんじゃないだろうか? ちょっと歌詞が難解な曲が多いのが玉に瑕だけど。


Nashville Skyline/Bob Dylan
(邦題『ナッシュヴィル・スカイライン』)
(1969)
★★★☆☆

通算9枚目は、『Blonde On Blonde』から続くナッシュビル録音3作目。事故による休養や、その間のザ・バンドとのセッションなどを挟んでいるにもかかわらず、いざアルバムのレコーディングとなると事故前からの続きを再開するような手法をとるあたりは、まだやり残したことがあるとの判断なのか、それとも契約やらなんやらの関係で、ある程度レコード会社の意向に沿わなくてはならなかったのか。ともかく、この『Nashville Skyline』は「やり残したこと」をやり尽くそうとでもしたかのようなアルバムだ。「やり残したこと」? カントリーを、である。

ともかくこのアルバム、全編にわたって典型的なカントリー・サウンドが展開されている。そういう意味では強力なコンセプト・アルバムともいえる。まるでコスプレーヤーが着せ替えをするように既成の音やスタイルの中に飛び込んで自身を変貌させていくのは後のディランの得意技だが、これは記念すべきその最初の例と考えていい。

というか、そんなコンセプト以前に驚かされるのはディランの声なのだ。アルバムの一曲目、いきなり飛び出してくる澄んだ声。誰、これ? 予備知識なしに聴いたら、絶対に間違ってぜんぜん違う人のアルバムを買ってきてしまったのかと思ってしまうはずだ。いやマジに。

その澄んだ声で歌われるのはセカンドの『Fleewheelin' Bob Dylan』に入っていた名曲「Girl From The North Country」。ああ、やっぱりこれ、ディランなのかな、と安心しかける。そこで突然、本当に違う人の声がカット・インしてくる。この曲では、カントリーの大御所ジョニー・キャッシュとのデュエットが試みられているのだ。もちろんデュエットなんてディラン初。ディランとはとても思えない澄んだディランの声と、ジョニー・キャッシュの魅惑の低音が、酔っぱらいのカラオケみたいに即興的な感じで絡んでいく。味があっていいんだが、それにしてもなんじゃこりゃ? そんな感じだ。

そして2曲目は、なんとディラン初のインスト・ナンバー「Nashville Skyline Rag」。これがまた、ただのブルーグラスなのだからまた戸惑う。3曲目以降も、典型的(つまりゴキゲンな)カントリー・サウンドをバックに、ディランは澄んだ声で歌い続ける。これ、当時は相当物議を醸したんだろうな、と思う。サウンドは過激じゃない(というか保守的とすらいえる)のに、そのサウンドをチョイスした手法自体が過激というか。

借り物のスタイルだけに、スケールの大きさはない。サウンド自体も、後のディランに直接つながっていくものではない。傍流といえば傍流だ。それでも、僕はこのアルバム、けっこう好きなのだ。収録曲が「Lay Lady Lay」「I Threw It All Away」といった名曲揃いというのもある。そもそも個人的にカントリーやブルーグラスが好きだというのも大きいのかもしれない。というか、よくできてますよ、このアルバム。少なくとも、この時期のディランの作品の中では例外的に現在でも聴いている唯一のアルバムだ。


Self Portrait/Bob Dylan
(邦題『セルフ・ポートレイト』)
(1970)
★★☆☆☆

通算10枚目は、発表当時に酷評され、現在もアルバムとしてはほとんど語られることのないこの作品。そりゃそうだろうなと思う。「ブルー・ムーン」をはじめとしたスタンダード・ナンバーを上品なアレンジで歌うディラン。ほとんどムーディ勝山である。たぶん本気なのにそう(パロディーかもと)思わせてしまうほど、唐突で、しっくりきている感じも、やりきった突き抜け感もない。サイモン&ガーファンクルの「The Boxer」なんて、オーバー・ダビングで一人デュエットしながら「ライラライ……」である。ほとんど藤崎マーケットだ。これなんてかなりパロディー濃度が高いような気もするのだが、でもたぶん本気なのだろう。でも、このアルバムの本当にマズいところはそこではない。それ(スタンダードのカバー集)に徹しきれていないところなのだ。

この作品、最初はニューヨークでレコーディングを始めたが、うまくいかないのでナッシュビルに戻って完成(一部ロサンゼルスでの録音もあり)させたとある。そのせいで、楽曲によってサウンドのテイストがバラバラになのだ。いちばんマズいのは、ディランの声が前作のような透き通ったものと、ザラザラ声のものが混じっているところである。環境が変わったせいか、微妙な時期の違いのせいなのか、それとも意識的にそうしたのかはわからないが、ともかく統一感には激しく欠けている。おまけに楽曲は肩の力の抜けたスタンダードのカバーが中心で、さらにわけもなくアルバム2枚組というボリュームなのだから、まさに散漫という言葉を絵に描いたような作品となってしまっている。聴いている感じは、まるで何かのアウトテイクを集めたタチの悪いコンピレーション盤のようだ。これがカバー集に徹していて、さらにデキのいいトラックのみ厳選したものならば、たとえばザ・バンドの『Moondog Matinee』のような味わいが出なかったとも限らないのだが。

というわけで作品としては明らかに★1つなのだが、ここではついつい、2つつけてしまった。理由は、なんとこのアルバム、なんの必然性もなく、ザ・バンドとワイト島のフェスに出演したときのライブから4曲も収録されているからだ。それ自体はまさに散漫さの極みと言うべき構成なのだが、この音源、すごく貴重なもので、他ではベスト盤にこのうちの1曲が収録されているのみ。またこれがワイルドないい演奏ときているのだから、ディラン&ザ・バンド好きにはたまったものじゃない。聴けるのは「Like A Rolling Stone」「The Mighty Quinn(Quinn The Eskimo)」「She Belongs To Me」「Minstewl Boy」の4曲。ね、聴きたくなってきたでしょ?


New Morning/Bob Dylan
(邦題『新しい夜明け』)
(1970)
★★★☆☆

11枚目は前作とうってかわって全曲が自作。ところがこれまた一筋縄じゃいかない。なんとこのアルバムではディランはギターではなく、ピアノを弾いているのだ。実際にディランが弾いているのは12曲中7曲、他でもアル・クーパーのピアノがアレンジの中心となっており、まさにピアノ・フォーク・ロックとでも呼ぶべきサウンドが繰り広げられている。前作と次の『Dylan』があまりにもひどすぎるせいでこの作品の評は好意的なものが多く、こういう言い方をする人はあまりいないが、これってけっこう異常事態だ。ディラン史においてもかなり異色の、ヘンなアルバムである。実験作と言っていいだろう。

とはいえ、その実験はかなりの程度まで成功している。ディランのたどたどしい、叩きつけるようなヘタウマのピアノはとてもいい味を出しているし、盟友アル・クーパーや凄腕セッション・ドラマー、ラス・カンケルらバックを固めるミュージシャンたちも、軽やかで乾いたオシャレな空気感をうまく演出し、またそのサウンドがアルバムを通して持続できている。本当に、なかなかのデキだと思う。何よりも、はじめてピアノ中心で作ったというディランの曲そのものが、これまでとは違う新鮮な手触りをもたらしている。

だがしかし、その実験はどこへもつながっていかず、単体で終了することとなる。このあとディランがピアノを弾く機会がゼロになったというわけではないが、少なくとも、ここでのサウンドや手法を積極的に発展させることはなかった。セルフ・カバーの鬼であるディランが、ここに収められた曲をライブで演奏することも、僕の知る限りほとんどない。たぶんそれは、このアルバムの曲が駄作だからでは決してなく、たんにピアノを弾きながらでなければ歌う気がしない(あるいは歌えない)からなのだろう。そして僕もまた、このアルバムをそこそこ評価はしているくせに、その評価に見合った頻度で聴いているかというと、それほどではないのが現状だったりするのだ。

さっき「発展させることはなかった」とは書いたが、ピアノを使った曲作り自体はこのあとも行われているようで、ときどきそういった曲に出くわすと、ああ、これが『New Morning』の成果なんだなと気づくことがある。『Planet Waves』の「Dirge」なんか、まさにそうだと思う。そういう意味では、実験は曲のバリエーションという面で実を結んだといえるのだろう。また、近年のツアーではキーボードを弾く機会は増えているようで、ファンとしてはどんな演奏をしているのか興味を覚えるところだ。

ちなみにアルバム冒頭の『If Not For You』はビートルズのジョージ・ハリスンが参加し、味のあるリード・ギターを聴かせてくれる名曲だ。またこの曲はハリスン本人やオリビア・ニュートン・ジョンがカヴァーしてヒットさせたらしいが、後者は聴いたことないなあ。

ナッシュビルでのカントリー、スタンダードのカバー、ピアノの練習(?)と続いたディランの実験と模索の時期はいったんこれで終わる。とっちらかった音楽的状況が整理され、そこからすくい上げたもので次なるオリジナル・アルバムが作られるには、じつにここから3年間の月日を待たなければならない。


Pat Garrett & Billy the Kid/Bob Dylan
(邦題『パット・ギャレット&ビリー・ザ・キッド』)
(1973)
☆☆☆☆

伝説のガンマン、ビリー・ザ・キッドの生涯を描いた同名映画のサントラ盤。サム・ペキンパー監督、クリス・クリストファーソンがビリー役でリタ・クーリッジがその恋人役、ディランもほんのちょっと出ているらしいが、この映画、観てないんだよねえ……。いつか観ようかなと思っていてすっかり忘れてた。

アルバムの方は、想像はつくと思うが、まあサントラですから、といった感じ。ただ何曲かはディランも歌っていて、バーズのロジャー・マッギンなどが参加して録ったメイン・テーマ「Billy」は4バージョンが収録されている。西部風味のフォーク・ロックいった感じ。悪くないが……まあサントラですから。

聴きどころは何と言ってもガンズなどのカバーでも知られる「Knockin' on Heaven's Door」。初出はここだった。名曲だし、『Planet Waves』あたりに入っていてもそんなにおかしくない感じの名演だが、まあベスト盤なんかでも聴けるし、いまとなっては1曲単位で購入もできるんだから、なにもこれだけのためにサントラ買う必要はないかな。


Dylan/Bob Dylan
(邦題『ディラン』)
(1973)
☆☆☆☆

最初に書いておくが、このアルバムはCBSを離れて新興レーベルのアサイラムに移る際、怒ったCBS側がディランに無許可で出した寄せ集めアルバムである。新たにレコーディングされたものはなく、『Self Portrait』や『New Morning』のころのアウト・トラックを集めて作られた代物だ。もちろん全曲カバー。ひどい話だが、作品はもっとひどい。

しかし、そんな事情を知らないで聴いたら、驚くだろうなと思う。だっていきなりプレスリーの『Can't Help Falling In Love』が甘~いアレンジで歌われてしまうのだ。『Self Portrait』からは3年も経っていて、おまけにあいだに『New Morning』もあったというのに。

さすがボツ曲集ということで、全体になんとなく焦点がボヤけた感じの演奏が続く。唯一、聴いていてオッと思うのはジェリー・ジェフ・ウォーカーの「Mr. Bojangles」のカバーだが、これとて冷静になってみればニッティー・グリッティー・ダート・バンドの方が良かったりする。あの車のCMかなんかで使われてたやつです。

ともかく、ディラン初心者はアルバム名が『Dylan』だからといって、ベスト盤や代表作だと思わないようにね。というか、実際に『Dylan』というタイトルのベスト盤はあったりする。真っ赤なジャケットに大きくタイトルが書いてあるやつ。そっちを買おうとして間違ってこっち買っちゃったら……という心配はとりあえずいらないかな。このアルバム、唯一ディラン本人からCD化の許可が出ておらず、廃盤になったままなのだ。上に貼ったamazonへのリンクは中古の、素性のよくわからない商品。4万円とか値がついてるよ……。ひでえ。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

Northern Lights-Sout..Islands(8th) ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。