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Nighthawks At The Diner(3rd) [トム・ウェイツ(Tom Waits)]


Nighthawks At The Diner/Tom Waits
(邦題『娼婦たちの晩餐』)
(1975)
★★★☆☆

チャールズ・ブコウスキーの翻訳なども手がけている山西治男は、トム・ウェイツのファンブック『Mr.トム・ウェイツ』に掲載するため、40曲ほどの歌詞を訳した際、次のような感想を編者に漏らしている。

「浮かれ気分で訳しはじめたのはいいけれど、単語レヴェルでつまずきっぱなし」だった。たくさんのスラングを例に挙げ、そんなのみんな「ウェイツで初めて知った」という。そして「主語が隠れんぼするわで、ホント、まいった」と嬉しそうに嘆いた。

このことは、トム・ウェイツの表現と僕たちの関係を端的に言い表しているエピソードのような気がする。僕たちというのは、つまり日本人ということなんだけど。

もちろん、原理的には日本人が洋楽を100%の正確さで理解できるかというと、それは難しい話だ。でも、言葉の部分が100%じゃなくても、それ以外の部分でもっと重要なエモーションの受け渡しができていれば、全体は120%にも200%にも膨らむはずだというのは、これはもう洋楽を愛する者の信念みたいにもなっているし、そもそも優れた歌曲においては言葉と音は完全には不可分なのだから、言葉で足りない分はちゃんと音から得ているはずだ、というふうにすら思っていたりする。

それでも、ある特定の状況では、そんな楽観論も追いつけないレベルのコミュニケーションの不足が起こる。そしてそれは、トム・ウェイツの音楽ではそう珍しいことじゃないと思うのだ。

ピアノもギターも弾くトム・ウェイツは、では最も得意な楽器は何かと訊かれて「ボキャブラリー」だと答えた。1950年代のビートニク詩人から多大な影響を受けたという、その言葉の武器化のし方、もう少し具体的に言うと、無意識で自然なセンスにまかせた言葉の垂れ流しへの、ちょっとポジティヴすぎるほどの確信は、僕をしばしば戸惑わせる。それは、結局僕たち日本人には洋楽ロックのことは100%わからないのかもしれないという、どんなに楽観していてもいつも意識の底に少しは残っている負い目みたいなものを直接、刺激してくる。

もちろんそういうのはボブ・ディランだろうとニール・ヤングだろうと、ないわけじゃない。でもトム・ウェイツに関しては、その表現のかなり本質の部分で、この問題が起こっている気がする。

この『Nighthawks At The Diner』は、ハリウッドのレコーディング・スタジオに観客を入れてライブの形で録音されたアルバムだ。曲は全曲、新作(1曲だけカバー)で、いわゆるライブ・アルバムとはちょっと違い、それなりに新しい試みは行われている。サウンドは基本的に前作、2作目の『The Heart of Saturday Night』のままだ。というか、ライブのため編成はドラム、アップライトベース、ピアノ、サックスという最小限の簡素さで、演奏もジャジーというよりは、50年代のジャズそのものともいえる。いやカッコイイです。少なくとも前作が好きな人は、無条件で気に入ると思う。もちろん僕も大好きだ。

では前作とは何が違っているか、何が新しい試みなのかというと、曲のタイプと、それからトムの歌い方、いや歌い方じゃないな、言葉の扱い方が違うのだ。

ここでは、詞が歌われず、詩が読まれている。そういう違いがある。ジャズの編成による演奏をバックに詩が読まれている曲といえば、例えば前作に収められた名曲「Diamonds on My Windshield」が思い浮かぶ。ああいう曲をたくさん用意して、全編にわたってライブでやってみた、というのがこのアルバムのいちばん簡単な説明になると思う。この歌うことと節をつけて朗読することの境界線の独特の曖昧さは、トム・ウェイツを聴いているんだなあという感じを強く与えてくれる。それは、トム・ウェイツの表現のかなり本質の部分なのだと思われる。

曲数は、一応18曲入っていることになっているが、じつはうち7曲が「Intro」となっている。ここで何が行われているかというと、曲に入る前に、ポロンポロンと楽器をつま弾きながら、なにやらベラベラとしゃべっているのだ。しゃべっているといっても、なんとなく節はついていたりして、ただの演説じゃない。ポロンポロンも、だんだんと演奏っぽくなっていく。で、そこから自然に曲に入っていくのだ。全編73分54秒のうち、じつに12分58秒をこの「Intro」が占めている。いや、「Intro」じゃなくて曲のはずの「Nighthawk Postcards」なんて11分27秒もあるけど、これに至ってはまるまるそれだけで終わっている。

この「Intro」部分で、客はとにかくよく笑っている。綾小路きみまろかよっ!と突っ込みたくなるくらい、トムは観客をよく笑わせている。でも、何がおかしいのか、僕にはちっともわからない。伝わってこない。歌詞カードにもその部分は載っていない。先に挙げたファンブックで例としてちょっと紹介されているのをそのまま引くと、「俺はすごくやりたくってムラムラしているから、夜明けの空の割れ目だって俺に気をつけた方がいい」みたいなことを言っているらしい。たぶんそれをダジャレ的な言葉遊びを交えながら言ってるんだと思う。50年代のビートニクの詩人たちみたいに。

ボキャブラリーが武器だというトムの詩は、他のどんなミュージシャンの歌詞よりも日本人の僕には聞き取りにくい。直感的に入ってこない。もし観客の笑いがなければ、またなにかセンチメンタルなことでも言ってるんだろうな、やっぱカッコイイなトム・ウェイツは、とかなんとか思ってしまうのだろう。そう考えると、ちょっと落ち込む。オレの言う「カッコイイ」って、なんかすごく底の浅いものなんじゃないか。そんなふうに自信を失いそうになる。

このアルバムを、なんだか素直に諸手を挙げて礼賛できない理由があるとしたら、そういうことになる。それはトム・ウェイツの問題ではなく、100%僕の問題だ。ちなみにトムもまた、ヨーロッパを中心に頻繁にツアーをしているが、日本へは1977年と78年に1回ずつ来て以来、一度も来ていない。

もちろん、そういう部分にへんに悩まなければ、ここでは僕の好きなトム・ウェイツをたくさん、最高の演奏で聴くことができる。「Eggs And Sausage(In A Cadillac With Susan Michelson)」の、しけたダイナーのメニューを淡々と歌い上げていくところなんて、ちょっとたまらない。僕的にはこのアルバムのハイライトだ。「Better Off Without A Wife」では、デビュー・アルバムの頃のフォーキーな味わいが微かに感じられる。文句なしの名曲「Nobody」もそう。「Warm Beer And Cold Women」は前作に入っていた「Ghosts of Saturday Night」と曲想がそっくり。歌詞はこっちの方が好みかな。

アナログ盤だと、このアルバム、2枚組になっている。とにかくすぐひっくり返さなくちゃいけなくて忙しいんだけど、でもだからこそ、けっこう頻繁に聴いたような気もする。

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